会員通信 2016 Spring
2016年 春号

  • 2016年04月29日

今回の会員通信は、神奈川総合法律事務所 小宮玲子弁護士による『他人の選択をどこまで制限できるのかという問題について』をお届けします。


コラム

弁護士 小宮玲子 - 神奈川総合法律事務所

事務所HP→https://kanasou-law.com/

「神奈川総合法律事務所 たより」No.52(2016年1月より)

他人の選択をどこまで制限できるのかという問題について

他人の生き方について、人はどのような場合に「それはちがう」と言えるのでしょうか? ましてやそれがその人の選択によるものではなく属性による場合には? また、他人の選択についても、「そうすべきではない」と「あなた」が言わなくてならない理由とは一体どういうものなのか? 「私はそれはちがうと思う。何故ならば・・」と個人的見解を述べることはあるでしょう。しかしそのことと、実際に人の選択を否定し、禁じてしまうこととは、まったく別の問題です。
昨年、「マイノリティの人権」に関して報告記事を書く機会があり、その時に考えたのは、「マイノリティ」の問題というのは、とある相対的少数の属性を有する人や、とある相対的少数の選択をする人たちの問題にとどまらず、つまり数の多さ少なさにかかわらず、そのような他人の属性、選択の存在を「認め」、ひいてはそのような属性や選択によって構成されることになる、社会における多様性をどれだけ認められるのか、それとも(どういった理由で)認めないのかという問題なのではないかということでした。自分の頭の中だけでならともかく、自分が現に生きている社会の中でのそのような多様性を受容することが出来ないという言動は、いわゆるヘイトスピーチといった問題とも無関係ではないと思っています。なお、「多様性を排除しようとすることをも認める多様性」というのはそれ自体、既に多様性の否定なのですが、これは別稿に譲ります。
『招かれざる客』(原題“Guess Who’s Coming to Dinner”)という1967年のアメリカ映画をご覧になったことがあるでしょうか。リベラルを自負する新聞社の社長スペンサー・トレーシーとその妻キャサリン・ヘップバーンの愛娘がハワイの大学で出会った黒人の医師シドニー・ポワチエとの結婚につき、互いの両親らの「承諾」を得るため実家に立ち寄るという、時間の流れとしては半日足らずの出来事の物語です。20年近く前に初めてこの作品を観たとき、私は、ほぼ全ての登場人物の意見に共感しつつ、「結論はこれでいいのだろうけれども、どんなカップルであれ親の承諾以前に当事者間で出会いから結婚を決意するのが早すぎ。もう少し付き合ってからでも遅くはないものよ」などと余計なお世話のつっこみをしたものでした。そして数年前、再びこの作品がテレビで放映され、役者の演技をもう一度楽しもうかといった軽い気持ちで観始めたときのことでした。初見の段階で気になっていた、若い恋人たちが赴任先である外国に夜の飛行機便で発つまでの間に登場人物たちが承諾を求められるという無茶ぶりの設定について思うことがありました。これは「時期の到来」を理由に回避せず、自分たちの回答を出すことを求められていることのメタファ-なのかと。
さほど遠くない将来、時期が到来し、その「問題」に対する結論も出るでしょう。何も今じゃなくても。そしてできればうちの子が当事者じゃなくても。その是非の判断を下すことを求められるのがよりによって自分たちじゃなくても。しかし、「時期が到来」する前に、した時に判断を下しているのは一体誰なのか。私も、そしてあなたもそのうちの一人ではないのか? 「私自身は反対する立場ではないけれどそんな属性・選択では社会において祝福されないであろうことが心配」。もちろんそうした現実も残念ながらあるでしょう。しかし、他人の属性や選択が、社会の多数者・多数派の中であたかも排除されるかのような「呪い」を自らかけてしまう、その前に、私やあなたが社会の一員として他人の属性や選択を支持していくこともできるのではないだろうか。
そんなことを考えながら新しい年を迎えています。


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