会員通信 2020 Spring
2020年 春号

  • 2020年04月16日

新型コロナウイルスの世界中での感染拡大により、大変なご時世になってきましたが会員の皆様いかがお過ごしでしょうか?
今後も十分な感染防止に努めてまいりましょう。
さて、今回の会員通信は、神奈川総合法律事務所の鵜飼良昭弁護士による”映画「ジョーカー」と「家族を想うとき」から考える”をお届けします。


コラム

弁護士 鵜飼良昭 - 神奈川総合法律事務所

事務所HP →http://kanasou-law.com

「神奈川総合法律事務所 たより」No.60( 2020年1月)より

映画「ジョーカー」と「家族を想うとき」から考える

★「ジョーカー」と「家族を想うとき 」

昨年観たこの二本の映画の衝撃は、いつまでたっても消えそうにない。今の時代が抱えている病巣を、このように鋭く暴き出した映画は、 そうはないだろう。それほどまでに、 我々が生きるこの社会の危機は深まっているのかもしれない。

【ジョーカー 】

この映画の紹介は、映画評論家町山智浩氏のそれが秀逸と思われるので要約して紹介する。

「主人公のアーサーは『笑う男』(ビクトルーユーゴー原作、28年のサイレント映画)だ。 脳の障害のため、笑いたくないのに笑ってしまう。『笑う男』の17世紀ロンドンの残酷な格差社会が、70年代のニュー ヨークに置き換えられる。アーサーはピエロとして稼ぎながら、スタンダップコメディアンを目指している。精神を病んだ母を介護しているが、チャップリンもそうだった。チャップリンも 『笑う男』のように最貧困の中で幼い頃から芸人として働かされた。『微笑みなさい、心が痛くても』。この映画中、『モダン・タイムズ』(36)が上映され、チャップリンが作曲した 『スマイル』が流れる。『モダン・タイムズ』は資本主義の最下層の労働者が機械のように扱われるうちに精神を病んで行く物語。悲惨な物語をチャップリンはコメディとして描いた。恐怖と笑い、悲劇と喜劇は表裏なのだ。」ピエロ姿のまま地下鉄に乗ったアーサーは、3人の証券マンが女性をからかう車内で笑いの発作に襲われ、怒った3人の暴力に思わず同僚からもらった拳銃を発砲し射殺してしまう。これがメディアで「ピエロ姿のビジランテ(私刑人)」と呼ばれ、格差社会への抵抗として偶像化され、富裕階層に怒る民衆の暴動を誘発する。映画の終盤で「『モダン・タイムズ』の主人公が偶然拾った赤旗を振ったため労働者のデモを扇動してしまう ギャクが、凶々しく再現される 」。

この映画では、どこまでが現実でどこからが幻覚か、判然としない。最後のシーンは、精神病院とおぼしき建物の廊下を踊るようにさまようアーサーの姿である。だから、ピエロの仮面をつけた民衆の暴動を扇動する「ジョーカー」は、アーサーの幻覚のはずなのだが ・ ・ ・ 。

もちろんこの映画は、アメ・コミのキャラクターのオリジンを探る、という趣向だから、そんな詮索は不要だろう。

なによりも刮目すべきは、この映画の上映と前後して香港で巻き起こった強大国中国と対峙する絶望的と思える抗議運動での若者達の覆面姿との符合である。それだけこの映画が、現実世界の矛盾の核心を貫いているともいえるのだ。 世界中の多くの観客が、アーサーの抱く哀しみと怒りを共感し共鳴するのもその証左であろう。

【家族を想うとき】

冒頭の場面、 「勝つのも負けるのも全て自分次第だ。できるか! ?」と本部のマロニーから挑発され「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた。」と、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意するリッキーの姿に、観客はこれから起こるであろう事態を予感し不安に駆られる。そしてその不安はことごとく的中していく。

リッキーは多額の頭金を払って宅配用のバンを購入するため、妻アビーの訪問介護用の車を売却せざるを得ない。アビーは、便数の少ないパスで介護先に通うことになり、夜遅くまで家に戻れない。またリッキーも、携帯型電子キャスナーから配送先や時間を指示され、食事もトイレの時間も取れず(尿瓶のためのペットボトルを渡される)、1日14時間、週6日もの労働を強いられる。その結果、リッキーもアビーも疲弊し、二人の子供達(高校生の息子セブ、小学生の娘ライザ)は両親から見放される状態となる。16歳になるセブは、次第に学校をサボるようになり、リッキーに対し 「このままでは父みたいな負け犬になる」「全て自己責任だ」と言い放つ。そして、喧嘩をして怪我をさせたり万引きに手を染めてしまう。切羽詰まったリッキーがマロニーに家族が大変になった。1週間休ませてくれ」と懇願するが、「自営だから代りを探せば済むことだ」と突っぱねられ、1日100ポンドの制裁金を課せられる。このようなリッキーにさらに災難が降りかかる。配送中暴徒に襲われて重傷を負い、貸与された電子キャスナーを 破壊されたのだ。重傷のリッキーのもとに、アビーとライザ、そして家出していたセブが集まる。やっと家族の時間と親子の交流が戻ってきたかに見えた。

が、翌早朝、リッキーが痛む身体を引きずるように、妻子の制止を振り切ってバンを集配所へ走らせるシーンでこの映画は終わる。多額の制裁金と借金を抱え込んだリッキーは、 明らかに正常な判断ができなくなっているのだ。

この映画のモデルに、糖尿病の宅配ドライバーが、制裁金を恐れて治療にいけず、働き続けたあげく2018年1月に死亡した実話がある(リッキーもマロニーから、欠勤1日100ポンドに加え、電子キャスナー損壊の制裁金が1000ポンドだと告げられていた)。 ケン・ローチは、監督引退を撤回し80歳で 「わたしは、ダニエル・ブレイク」を撮り、カンヌ映画祭で2度目のパルムドールを受賞、「これが私の最後の映画になる」と宣言した。この映画は、このようなケン・ローチが、2度目の監督引退宣言を撤回してまで撮らねばならなかった映画である。「前作の取材中、フード・バンクに来ていた 多くの人々のことがずっと心に留まり続けていた。彼らは、新しいタイプの働き方、ギグ・エコノミー、自営、エージェンシーワーカーに雇用形態を切替えられた労働者であった。次第に作る価値があるかもしれない、と思うようになった。」と語っている。

★持続可能性を奪っているのは何か

冷戦構造の崩壊により、自由な市場競争が一気に解き放たれ、今やこれが市場原理主義となって世界を覆っている。それが貧困と格差社会を拡大し、人間を、家族を、社会を破壊し尽くそうとしているのではないか。この二つの映画が発しているメッセージは極めて現代的で切実なテーマである。

今年8 3歳になるケン・ローチは、インタビューに次のように答えている。「(映画が問うたのは)このシステムは持続可能か、ということです。」「(この映画で描いた現実は)市場経済の崩壊ではなく、むしろその反対で、市場の論理的な発展の結果です。市場は私たちの生活の質には関心がなく、関心があるのは金儲けだけで、ワーキングプア、つまりリッキーやアビーのような人々と家族が代償を払うのです。」

米タイム誌の「今年の人」に、グレタ・トウンベリさんが選ばれた。彼女は、昨年8月学校を休んで気候変動への対応を大人たちに迫る「学校ストライキ」を一人ではじめ、今年9月の気候行動サミットでは、国連で「生態系が崩壊しようとしている。 行動を怠る大人は悪だ」「大人は無限の経済成長というおとぎ話を繰り返すな。」「今のシステムで解決できないならシステム自体を変えるべきだ。」と怒りに満ちた演説を行った。また12月COP25が開かれたスペイン・マドリードには、グレタさんをはじめ世代を超えた50万人の人々が集まり、「権力者たちは、未来と現代の世代を守れ」と抗議し集会とデモを行った。

今や市場原理主義は、人間・家族・社会だけでなく、この地球をも破壊し、その持続可能性を奪おうとしているのだ。

16歳のグレタさんの姿は、次第に 「家族を想うとき」の少女ライザと重なってくる。未だ12歳のライザには、 昔の家族を取り戻すために、リッキーのバンの鍵を隠すことしか思いつかなかった(まるで1 8世紀末の「機械打壊し」のように)。しかしいつかは、グレタさんのように、自分たちを苦しめる真の原因を探り出すだろう。

朝日新聞に「世界に火がついている、ことをお気づきだろうか」という書出しの次のようなコラムが掲載された(筆者デイビッド・ブルックス、 NYタイムズ11月21日付電子版抄訳)。「イランでは『ハメネイ師に死を』と声を上げる群衆を政権がひとまとめに殺し、インターネットを遮断した。香港やワルシャワ、ブタペスト、イスタンブール、サウジアラビアでも民衆が民主的な権利を守るためのデモを続けている。パキスタン、インドネシア、サウジアラビアでも庶民は怒りを表し、レバノンとボリビアでは政権トップを辞任に追い込んだ。」 「市民の不満のうねりが、ここまで世界各地に広がったのは1989年以来だ。」

今、冷戦構造の崩壊後一気に拡散されたこの持続可能性なきシステムの犠牲になり苦境に立たされた世界中の多くの人たちが、闘いの火の手を上げている。この二つの映画は、このシステムに組み込まれて日常を生きる私たちに、アーサーやリッキーの家族に起こっている現実を、自分のこととして知り、感じ、考え考え抜き行動することを求めているように思う。


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