会員通信 2014
2014年

  • 2014年08月20日

今年の夏も終わろうとしています。今回の会員通信は、旬報法律事務所の設立60周年記念特集です。時代にあわせて変化してきた事務所の歩みを振り返ります。


旬報法律事務所 設立60周年特集

旬報法律事務所HP→http://junpo.org/

弁護士 徳住 堅治

「旬報法律事務所」の新しい船出

徳住堅治弁護士事務所は、[港区芝田村町]⇒[芝西久保巴町]⇒[有楽町]へと移転してきました。有楽町・松井ビルでの新しい船出は、私の入所1カ月後の昭和48年6月のことです。旧名称は「労働旬報法律事務所」でしたが、大激論の末、“労働”をとり、現在の「旬報法律事務所」に名称変更しました。労働事件以外の分野にも積極的に取組む決意の表明でした。松井ビルには“渡辺プロダクション”が入居しており、エレベーターで梓みちよ、森進一らのタレントとの同乗も多く、一気に華やぎました。

当時事務所は、労働事件と公害反対闘争の全国的拠点事務所でした。イタイイタイ病、スモン病、その後水俣病などの公害反対闘争にも熱心に取組みました。私は、“労働事件派”として、全国を駆け巡って整理解雇・倒産・労働組合壊滅・公務員のスト禁止へのたたかいに取組みました。当時は“大弁論時代”であり、労働事件をめぐり最高裁弁論が頻繁に開かれていました。名古屋中郵事件、猿払事件などで、東城守一・山本博ら事務所の先輩弁護士の珠玉のような弁論を聞くことができました。私の唯一の最高裁弁論は“大槌郵便局刑事弾圧事件”です。あの緊張感ある最高裁弁論をもう一度経験したいと願っています。

入所当時の所員弁護士は11名でした。働く人や弱者のために、憲法と平和を守るために、所員一同邁進してきました。事務所創立60周年を迎え、所員も25名に増えました。若い弁護士、女性弁護士も増え、事務所は活気に溢れています。経済・雇用構造の変化、法律の大幅改正、事務のIT化など、社会の変化は著しいものがあります。皆さんのご支援を受けながら、時代の先端を走る事務所であり続けたいと決意を新たにしています。

弁護士 山内 一浩

労働事件、労働弁護団、そして何故か弁護士会

山内一浩弁護士1. 中高年リストラと激増する個別労使紛争への対応~労働弁護団事務局長就任
1992年4月の弁護士登録当時、バブル経済が崩壊し世間ではリストラの嵐が吹き荒れていた。主なターゲット・中高年管理職が罵詈雑言を浴びせられて退職を強要されるなどの事件が頻発した。私たち若手弁護士は、労働弁護団等に殺到する悲鳴のような相談への対応に追われた。今でこそ弁護士が電話相談に応じるホットラインはたくさんあるが、労働弁護団が1993年2月に行った「雇用調整ホットライン」はそのはしりだった。こうして弁護士登録直後から、激増する個別労使紛争の渦中に否応なく放り込まれ、様々な労働事件に携わる中で多くのことを学んだ。1998年11月から2年間は、労働弁護団本部事務局長として活動した。

山内一浩弁護士2.

東京弁護士会副会長として
労働事件に多く携わり労働弁護団の活動を中心に行ってきた私が、弁護士会の副会長に就任するとは、正直想像もしていなかった。私の周辺の弁護士たちも同じであったろう。2013年4月から1年間、それまでとはまったく違う世界で、面識のない弁護士、職員とともに、会員数7,000人を超える弁護士会で、通常の弁護士業務とはまったく異なる仕事に従事した。当初は戸惑うことばかりだったが、ようやく慣れてくるととても楽しくやりがいのある仕事で、貴重な経験をすることができた。

弁護士 圷 由美子

いつでも(誰でも)夢を…

圷由美子弁護士おかげさまで弁護士14年目。小3長男に1歳次男が加わり、昼夜問わずの日々の中、ここまで来られたのは、大変な状況にありながらご自身そっちのけで応援して下さる依頼者の皆様の温かい眼差し、多忙を極める所員の理解と手厚い協力があってこそ、です。この場を借り厚く御礼申し上げます。

今年3月、復帰前挨拶で来所した際、自席に着き、思わず目頭が熱くなりました。妻でも母でもなく、「独自の居場所」があることの有難味を感じた瞬間でした。今回の産休は様々再確認する貴重な機会となりました。自分の夢もよりクリアに見えて参りました。

これまで「人間らしく働く権利」獲得をテーマに、細々取り組んできました。方向性を明確にしてくれたのは、マクドナルド管理監督者(名ばかり管理職)訴訟です。その後、ベルリッツ労組、セクハラ労災行訴原告、リコー原告ほか多くの皆様と出会い、就労を通じた自己実現(労働者人格権)が確たる権利となるよう尽力したいと思うに至りました。 産休中、雇用を切られ育児に忙殺され声をあげることすら諦めざるを得なかったママたちに一市民として出会いました。自分が各地で壇上から唱えてきた、労基法・均等法・育介法等が現場に届いていないことを思い知らされました。彼らが喪失したのは「独自の居場所」に留まりません。復職できてもランク落ちは必至、将来的に失ったものは計り知れません。

そこで、今後の私のテーマは、「誰もがどんなステージでも人間らしく働き続ける権利」としたいと思います。休むことで「創造(・ ・)の翼」が開くこともあります。自分を見つめなおす機会は、育児介護関連のみならず全ての人に与えられてしかるべきで、それは更なる自己改革、就労の質を上げるものであると確信しています。皆様もいつでも夢を…。

弁護士 雪竹 奈緒

当事者とともに歩んだ10年

雪竹奈緒弁護士事務所50周年を迎えたのは弁護士2年目のこと。それから10年、様々な事件や活動、それに関わる人々との出会いがあった。

この間、弁護士活動で大切だと感じたのは、難しい法理論を並べるだけでなく、当事者の思いをいかに汲み取り、伝えるかということ。東京大気汚染訴訟では、話をするのも苦しいぜん息患者から話を聞き、陳述書や尋問等で裁判官に生の声を伝えた。地裁の敗訴から一転、高裁で勝利的和解が成立したのは裁判官の心にその声が響いたからこそだろう。

日の丸君が代訴訟では、残念ながら最高裁で合憲判決だったが、それでも減給処分以上は違法との判断を勝ち取れたのは、熱心に教育活動に取り組んできた高校教員たちの思いを繰り返し裁判所にぶつけ、最高裁判事の心を僅かながらも動かしたからだと思う。そして私自身、多くの事件で当事者の声に心を揺さぶられ、自分が体験していないことを身近に感じ、教えられ、人間的に成長することができた。

これからも当事者の思いに寄り添い、共鳴し、一緒になって裁判官を動かす、そんな弁護士でありたいと思う。

弁護士 蟹江 鬼太郎

回顧展望

蟹江鬼太郎弁護士1. 旬報法律事務所を知ったのは、司法試験合格後の見習い(修習生)のときだったと思う。マクドナルドの残業代請求事件が大きなニュースとなり、以前から労働事件に関心があった私は、労働弁護団や当事務所の存在を知って、熱烈な?メールを当事務所の先輩弁護士に送付したのを覚えている(恥ずかしいので内容は忘れたことにしておく)。

2. こうして、運良く、当事務所に入所した後は、個別労働事件はもちろんのこと、阪急トラベルサポート事件やリコーリストラ出向事件等、今後の労使関係にも影響を及ぼすような大型の弁護団事件にも関与させてもらいながら、弁護士としての腕や度胸を磨き、ここまで歩んでくることが出来た。もちろん、離婚事件や相続事件や不動産事件などいわゆる一般民事事件も多数担当することが出来た。

3. 後輩も多数入所してきた現在では、法律家団体や事務所でも多少責任がある役職等が回ってくるようになった。事件では労働事件だけでなく過労死・労災事件にも興味が湧いて、実際に複数担当させていただいている。

4. こうしてこの原稿を書きながら、改めて当事務所の門をたたいたころを思い出した。時にはこうして初心を思い出しながら、これからも力を尽くしていきたい。

新人紹介

弁護士 小野山 静 旬報法律事務所

小野山静弁護士

<プロフィール>

国際基督教大学を卒業後、企業に就職しましたが、そこを退職して大学院で女性の歴史学を研究していましたが、さらにそこから弁護士を目指して早稲田大学ロースクールへ入学しました。そのような紆余曲折を経て、平成26年1月に弁護士になりました。父の仕事の関係で幼い頃から引っ越しが多かったため、人とのひとつひとつの出会いを大切にしながら生きてきました。

<事務所に入った動機>

心身ともに疲れ切って会社を辞めた経験や、フランス革命期の女性の歴史を研究する中で現代の日本社会における女性労働者の地位もあまり改善されていないと感じた経験などから、労働者の力になれる弁護士を志すようになりました。そのため、労働問題のプロフェッショナルがいる旬報に入所したいと考えるようになりました。

さらに、司法試験合格後に旬報で1週間研修を行いましたが、その際に事務所の先生方にさまざまなことを教えてもらい、入所したいという思いは一層強くなりました。これからは自分も事務所の先生方のような労働問題のプロフェッショナルを目指していきたいです。

<いまハマっているもの>

ここ数年、料理にはまっています。特に、エビチリや麻婆豆腐といった中華料理をよく作っています。手際よく何品か作るために料理の工程を頭の中でいろいろ考えたり、料理が完成したときに達成感を味わえたり、また何より、「おいしい」と言って食べてもらえたりするのがとても楽しいです。


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会員の皆様からの投稿を募集しています。
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取扱代理店 株式会社 宏栄

編集部より

2015年日本は戦後70年を迎えます。旬報法律事務所は、2014年に設立60周年を迎えられました。ベテランから若い弁護士の方々のメッセージを読むと、まさに日本の戦後の歴史を感じされられます。旬報法律事務所のご繁栄をお祈りするとともに、これからも日本社会とともに歩み続る存在であることを願っております。

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