会員通信 2003 Spring
2003年 春号
- 2003年04月15日
寒中お見舞い申し上げます。
世界規模の緊張の日々が続いています。
ただただ、平和的解決を祈る気持ちでいっぱいです。
新年が明けたと思ったら、もう3月です。
皆様からいただいた新年のご挨拶を整理しつつ、
早くしなくてはと焦っています。
三寒四温、少しずつですが、春の気配を感じながら、
2003年初めての「会員通信・春の号」をお届けします。
コラム 2003年1月
弁護士 鴨田哲郎 旬報法律事務所
自由業の不自由 トキは誰のもの?
光陰矢の如しの直球的時間か、
四季は巡る循環の時間か、
トキとは何か様々に論じられてきた。
楽しい時間は短く、苦しい時間は長い。灰色の男たちの時間ドロボーもいれば、時間で地域通貨を創造する取組みもある。いずれにしても一日は24時間。これだけは王様も庶民も同じ。と思いたいが・・・・・。
国会に参考人で出席できないかとの話が飛び込んできた。火曜の夕方である。出席するのは金曜の午後だが、明日朝までに回答せよという。相談すべきところもあり、予定の調整もしなければならない。やはりエラいところは他人の時間まで支配してしまうようだ。
裁判官は遅れても、前の事件が延びましたで済む。警察での接見で待たされるのは覚悟しないといけない。自由業とはいうものの、弁護士の時間は結構不自由だ。
忙しいとは、心を亡くすと書くのだという。確かにそうだ。イライラせず、ゆとりを持って、自分の時間を創りたいものだ。
弁護士 江森民夫 東京中央法律事務所
先生にめぐまれた都立大学
私は1965年4月に都立大学入学した。当時の都立大学は目黒区にあり、キャンパスは狭いが少人数教育で、多くの先生との接触の機会が多く大変幸せな大学生活を送りました。
入学当時は法学部は独立しておらず、法経学部の1学年の法学系の学生はわずか75名で、3年になるとゼミに入りますが、1年度に複数のゼミに入ることが可能でした。3年になって清水誠先生のゼミに入りました。テーマは民法解釈でした。私が法律らしきものを初めて勉強したのがこのゼミです。清水先生は、学生の発表と討論をじっと聞かれ最後に適切なアドバイスをされていました。
4年では、沼田稲次郎先生の労働法ゼミと、内藤謙先生の刑法ゼミに入りました。沼田ゼミの参加者は学生だけでなく、籾井常喜先生も参加され、実に豪華なゼミでした。沼田先生、籾井先生とも学生の発表内容のあいまいな点をするどく追及され大変鍛えられました。留年した5年目も沼田ゼミに入りましたが、私が司法試験を受けるのを知っておられた沼田先生は4月に私がゼミに出席すると、「司法試験に受かるまでゼミに参加しなくて良い、受かったら参加しろ、成績は優にする」などと言われ、これに甘えました。内藤先生は、ひと味違う雰囲気で、学生の発表に真剣に質問するという名の通り謙虚な先生でした。
また都立大学ではゼミ以外の先生からも親しく指導を受けることができました。小田中聡樹先生、利谷信義先生、兼子仁先生などです。さらに授業を一つも受けていないのに司法試験の指導を戴いた江藤价泰先生、ゼミにも入っていないのにゼミ合宿参加を許可された関口晃先生など授業と別にご指導を戴いた先生もいます。こうしたことは、他の大学では考えられないことだと思います。
こうした先生方の親切な指導がなかったら、司法試験に受かることはできなかったと思い、都立大学と多くの先生に大変感謝しています。
弁護士 棗 一郎 旬報法律事務所
時代小説の醍醐味
徳川家康が祀ってある日光東照宮の門に、「見猿、聞か猿、言わ猿」が彫刻してあるのを不思議に思われたことがはないだろうか。観光ガイドでそれなりに説明はあるが、何でこんな所にこんなモノがあるのだろうかとどうも納得ができなかった。
それを時代小説の新星荒山徹著「魔岩伝説」が解明してくれた。(と言っても、フィクションであるが。)
1597年豊臣秀吉の挑戦再侵略(慶弔の役)から僅か6年後に徳川家康の方から李氏朝鮮に和睦を持ちかけ、朝鮮通信使が日本に来るようになる。しかも朝鮮は日本のことを「倭国」と呼んで蔑んでいた李氏朝鮮が、何故将軍が代替わりするたびにその就任祝いにわざわざ海を渡って出向いてくるようになったのか。その莫大な費用を負担したのは徳川幕府の方である。
家康と朝鮮との和睦の会談の資料は残っていないという。隣国との和平交渉の重要な歴史的資料なのに。腑に落ちないことばかりである。
朝鮮通信使の真相は「見ざる、聞かざる、言わざる」というのが家康の厳命だったのである。
さて、その謎解き_いかに。歴史の謎に新たな視点を当てるのも時代小説の醍醐味である。
弁護士 井上幸夫 東京法律事務所
新春所感
昨年は忙しい中、ボーリングに凝ってストレス発散しました。(昨年の最高スコア219)。
妻は「また夜遅くまでボーリング?」とあきれていました。時々、日曜日に子供とボーリングに行きますが、中二の娘が12月にターキーを出したのにはびっくりしました。
今年は「フリーター」の法律相談の本を書こうと準備を始めています。
自由で豊かな社会の基本は働く人の権利と尊厳というのが私の思いです。
お薦め本 From the reader in the wood
弁護士 岡村親宜 東京本郷合同法律事務所
「追悼・浦田乾道 – 海上労働を弁護して40年」
「追悼・浦田乾道」を刊行する会編・発行
本書は1956年に弁護士登録し、2001年4月19日にお亡くなりになるまで、45年間の弁護士生活を通し海上労働者の権利を擁護された弁護士浦田乾道(うらたけんどう)先生を追悼して編集・発行された書です。
先生は1926年に挑戦京城府(現在のソウル市)で生まれ、1931年に福岡県小倉市に転居され、旧制小倉中学、清水高等商船学校機関科をへて、戦後の動乱期を外航船の機関士として乗船勤務されました。
この乗船勤務中、先生は海員組合の全国大会に代議員として出席し、法律の必要性を実感され、1950年中央大学へ入学します。53年同校を卒業、同年10月司法試験に合格、56年司法研修所を出、同年4月弁護士活動を開始されます
この先生の経歴が、その後、船会社の代理人でなく、海上労働者の権利を擁護する労働弁護士としての人生を歩まれることとなったものと拝察されます。
先生が担当された海上労働事件を3つ紹介します。
先生が一番苦労されたのは、リコール裁判かと思われます。海員組合は、組合規約で組合幹部を組合員がリコールする制度を定めていた日本で唯一の組合ですが、この制度に基づくリコール運動が統制処分の対象とされ、その責任者が権利停止の処分を受け、海員組合を相手取りこの処分の取り消しを請求しました。これがリコール裁判です。東京地判では敗訴しましたが、東京高判で処分無効の勝訴判決を得られました。私はこの控訴審裁判に参加させていただき、本書の裁判打ち合わせの写真に、若干27歳の私の姿が写っています。
1969年1月5日、新鋭大型鉱石船「ぼりばあ丸」(5万4千トン)が、太平洋上で折損、沈没しました。運輸省は、造船技術上特に問題なく、現存船についても安全上問題ないと報告しました。しかし、この事故の6遺族は、船を建造した造船会社と船会社を相手取り損害賠償裁判を提訴しました。
この「ぼりばあまる裁判」は、約10年間の攻防の末、1981年造船会社、船会社が遺族に2億5200万円の賠償金を支払うとの和解で終了しました。
太平洋汽船の活動家竹中正陽君は、1991年5月、金銭不正の捏造により懲戒解雇され、関東船員地方労働委員会に不正労働行為による救済申立をし、また東京地裁に解雇無効確認裁判を提訴しました。
同委員会は、94年解雇を不当労働行為と認めて職場復帰を命じ、船員中央労働委員会は会社の不服申立てを棄却しました。これらは、船労委が、その設置以来初めてだした不当労働行為命令です。
竹中君は、1999年これらの命令を武器に東京地裁の勝利和解により職場復帰を勝ち取りました。
本書は、先生が担当されたこれら事件関係者ら沢山の方々の追悼文で構成されています。これらを読むと、先生の生涯は「海上労働問題の未開の地平を切り開く生涯」(遺稿の題)でした。末筆となりましたが先生のご冥福を祈念させていただきます。
*本書は非売品ですが、下記にご連絡いただければ入手できます。 「海上労働ネットワーク」(事務局長 篠原国雄) 港区芝2-8-13-205 TEL:03-3452-5085 |
●岡村親宜先生の著書を紹介します。
裁判闘争のなかで築き上げた法理論の集大成!
「過労死」と「過労自殺」の被災者と家族(遺族)の社会的救済を目的に、
その法理論と実際の実務をいかにすすめるかを、
弁護士としての経験を基礎にとりまとめた実務書
「過労死・過労自殺の理論と実務 -労災補償と民事責任- 」
第1部 過労死・過労自殺救済の実態 第2部 過労死救済の理論と実際 第3部 過労自殺救済の理論と実際A5版460頁 旬報社刊 定価6,930円詳細は旬報社ホームページ |
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