会員通信 2009 Spring
2009年 春号
- 2009年04月09日
関東では桜が満開の時期に好天が続き、
例年になく多くの方々が桜を満喫されたようです。
「会員通信・春の号」は春に相応しくニューフェイス特集号です。
New Face 登場
下迫田 浩司 2008年登録(修習61期)兵庫県出身 弁護士法人阪南合同法律事務所
名古屋第一法律ニュース 2012.1 より
はじめまして。下迫田浩司(しもさこだ・こうじ)と申します。2008年9月に弁護士になり、弁護士法人阪南合同法律事務所で活動しております。
私は、もともとユダヤ文化やマルクス主義に興味を持っていたため、将来イスラエルのキブツに行ってみようと思って高校3年生のころからヘブライ語を勉強し、大学生時代に1年間大学を休学して、イスラエルのキブツに行きました。キブツというのは、「世界史上、最も成功したコミューン」などと言われている共同体で、生産手段・土地・建物等の共有、直接民主主義、貧富の差のない社会、労働価値の平等、女性の育児・家事からの解放、終身社会保障などの特色を持っています。私は、主にバナナ畑や綿花畑などで労働し、必要に応じた衣食住を提供されていました。
帰国後、大学を卒業して、ヘブライ語(現代ヘブライ語・聖書ヘブライ語)の講師やヘブライ語の翻訳など、イスラエルの関係の仕事をしていましたが、なかなか収入が安定しないこともあって、ある革新系の政令指定都市の市役所に就職しました。
市役所では、主に社会教育に携わってきましたが、2001年の秋に、市長が革新系から保守系に交替し、とりわけ社会教育の職場について、職場の3分の2くらいの職員を一度に入れ替えるなどの極端な人事異動が行われたり、人員削減が行われたり、平和や人権に関する教育で大きな役割を果たしていた生涯学習研究室(私も所属していました)の存在自体を消滅させられたり、職員が市民とともに長い年月をかけて作り上げてきた社会教育をあえて破壊するようなことがなされました。
このように、市職員が一生懸命作り上げてきた社会教育事業も、市長が保守系に変わっただけで壊されてしまうことに無力感を感じました。そこで、組織の一員たる市職員よりも、権力などに対抗して活動していける弁護士になろうと思い、市役所在職中の2006年秋に、旧司法試験に合格しました。
正義があるのにそれを実現する力を持てない人々、正義があるのに不当な力に抑圧されている人々に対し、正義を実現する力を与えるのが、弁護士の重要な役割だと思っております。正直な人、誠実な人、勤勉な人が、困難に巻き込まれたときに、明日も頑張って生きていこうと思えるよう、力になりたいです。
一人一人の依頼者、相談者等お話を丁寧に聴くことを心掛けております。
一般民事事件、家事事件、労働事件、債務整理事件、刑事事件、少年事件、行政事件等、さまざまな分野を広く取り扱っておりますが、特に、働く人々の権利を守ることには、力を入れております。
なお、外国人研修生問題など、外国人関係の事件も積極的に取り扱っていきます。
和田 壮史 神戸あじさい法律事務所
このたび、新61期司法修習を終え、神戸あじさい法律事務所にて弁護士としての第一歩を踏み出すことになりました。
修習においては、困難な問題に対して、諦めず、明るく前向きに取り組んでおられる諸先輩方や関係者の方々に接する機会を得る事が出来ました。私は、その姿に感銘をおぼえ、私自身もそのような人生を歩みたいと考えております。
もとより、まだまだ未熟な身であることは自覚しているところです。常に自己研鑽を怠ることなく、目の前の一つ一つの案件に全力で取り組み、諸先輩方の教えを請いながら、自身の向上を図ってまいりたいと思っています。
暖かいご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
1992年福岡県立東筑高校卒業
1999年京都大学文学部卒業
2002年京都大学大学院人間・環境学研究科修了
2007年大阪市立大学法科大学院修了
2008年弁護士登録
担当事件
・一般民事・家事事件
・刑事事件
・少年事件
・様々な分野に取り組んでいきます。
趣味
・読書・映画・サイクリング・スポーツジム通い
モットー
楽しく、真剣に。思いやりと感謝を忘れずに。
ひと言
色々寄り道をしながら弁護士になりました。依頼者が何を求めておられるのか、しっかり受け止めた上で、最良の方法を考えていくことを基本にしています。
木村 壮年 東京共同法律事務所
実は、私とこの事務所の出会いは、八年前に遡ります。当時、私は東京外国語大学外国語学部南・西アジア過程ヒンディー語科の三年生でした。その時に選択していた日本における南アジア移民の調査をするゼミのため関係する情報をインターネットで探していたところ、鬼束先生や秦先生の参加されている入管問題調査会のサイトを見て、ただでさえ過酷な生活を強いられている日本に住む外国人の生活が退去強制等によってあまりにももろく崩れ去ってしまう現状を知りショックを受けました。こんな経緯があって私は、入管問題調査会に頚を出させてもらうことになり、難民認定や在留特別許可を得るために頑張っている先生方に会い、もともと弁護士に興味を持っていたこともあって、自分もこの道を選ぶことにしました。それから、長い月日が経ってしまいましたが、またこの場所に戻ってくることができたことの喜びを噛みしめているところです。
ところで、私の司法修習は那覇でした。週末の度に海に離島に出かけ、本当に竜宮城があるのではと思わせるくらいきれいな海を満喫して来ました。その恩返しにと、珊瑚の敵である鬼ヒトデを駆除するNGOの活動に参加したりもしました。
これからは、いままでの経験を生かし、弁護士として人の生活ときれいな自然を守るため、一生懸命やって生きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
木下 徹郎 東京共同法律事務所
私が弁護士という仕事に興味を持つきっかけとなったのは、高校生のころに、ジョン・グリシャムの「路上の弁護士」という小説を読んだことです。ストーリーは、経営法曹であった主人公マイケルがある事件を契機に、公設事務所でホームレスの生活支援・権利救済に奔走するようになるというものです。助けを必要としているのに助けを求めることすらできない人々が人間らしく生きられるように、自分ができることをしたいというマイケルの気持ちは、とても自然でなじみやすく、その生き方はその後も頭に残りました。
平成二十年九月に法曹としての第一歩を踏み出しましたが、具体的に何に取り組みたいかと問われれば、自分でも漠然としていて答えられない、というのが正直な答えです。何でも取り組んでみたいと思いますし、その中で専門性や、自分のライフワークと呼べるものに出会えたらいいと思っています。幸い東京共同法律事務所では実に様々な事件にふれることができますので、そのような意味で最高の環境に身を置かせていただいていると思っています。ただ、何をするにしても、マイケルの生き方に共感した初心は忘れずに成長していきたいと思っております。
!募集!
会員の皆様からの投稿を募集しています。写真、エッセイ、論文、小説等々、本会員通信で表現できるものなら何でも結構です。
編集部より
プロ野球が開幕し、野球シーズンが始まりました。WBCでは前回に続きサムライジャパンが優勝の快挙!イチローや松坂など優勝の後遺症がささやかれている選手が出るほど、過酷な大会でした。ところが肝心の野球王国アメリカでは報道もほとんどされていないとのこと。日本のTV視聴率が空前の数字を挙げたのに、この温度差はなに?
メジャーリーグ中継でおなじみの7回「TAKE ME OUT TO THE BALLGAME」の合唱シーンは、アメリカの人々が野球を心から楽しんでいることが実感できます。しかし、どうやら彼らの関心事はもっぱらオラが街のチームのことだけのようです。国が大きすぎるのでしょうか、それとも日本人のナショナリズムが強すぎるのでしょうか?サムライジャパンの連覇より、スポーツの楽しみ方と国民性の違いが、気になる出来事でした。